大正ロマン館誕生物語 ⑤

そして未来へ

「けったいな名前付けてべっちょないんけ?」

とかく新しいことをするといろんな声が聞こえてくるもので、役場だった場所を観光拠点にするとなると必ずしも追い風ばかりではなかった。

役場を壊してシティホテルを建てるという話もあったり、すべての人に歓迎されたものではなく、レストランメニューやコーヒーの価格も民業圧迫してはいけないとの理由で全て高めの設定だった。

今でこそその名称に慣れて違和感はないと思うが、

「けったいな名前やね。ロマン館て」という声が間接的に聞こえてきたものだった。

きっと今の時代ならSNSで嫌ごとを書かれるんだろう。

一番キツイ批判は

「自分らの商売だけのために勝手なことやっとる!」だった。

この言葉にはモチベーションが下がるばかりで投げ出したくなりそうな時もあったが、そこは山内のけーさんや福島のおやっさんらの励ましの言葉に随分助けられた。

「批判されるっちゅうことはほんまもんやいうこっちゃ!そんなもんに気ぃとられとらんと気張らんかい!10年経ったら見返したれ!」

このおやっさんの言葉は今も心に刻まれたままである。

決してスタートダッシュ的なオープンではなかったが、案内所や売店、レストランのスタッフのボランティアに近い頑張りに業績は徐々に上向きになり、秋の味覚シーズンには品切れ続出にもなったりとなんとか順調に進んでいった。

年末あたりだっただろうか、西尾会長の提案で観光協会は法人でないので事業収入が増えてくるときちんとした法人組織にすべきと、行政の出資をお願いし有限会社大正ロマン館が誕生することになった。

一方その当時 篠山町商工会は会館1階の店舗運営のためにいろいろと議論を重ねていたが、平成7年6月 有限会社大正ロマン館に出資することで新しく会館店舗も運営できる会社「クリエイトささやま」を観光協会、行政と協力して設立することになる。

西尾会長が初代社長となり、その後 堀のやっちゃんが社長に就任。

10年以上に渡り敏腕社長として大正ロマン館を丹波篠山の観光拠点として確立された。

大正ロマン館だけではなく、周辺でのイベントの仕掛け人としての喜多の茂ちゃんのフットワークの軽さは素晴らしかった。今の味祭りがあるのも茂ちゃんのおかげと言っても過言ではない。
茂ちゃんのあの人使いの上手さは何だったんだろうと思う。断りきれずに気がつけば汗をかいてフラフラになりながらもイベントの裏方をやっている自分も含め多くの姿があった。

平成21年にはまちづくり会社(TMO)として設立されて市民センター等を運営していた「株式会社まちづくり篠山」の解散に伴い、その事業受け継ぎ新たに「株式会社アクト篠山」と社名変更し、小林のせーてんさんを社長に迎え昭和百景館の開店等新たな事業展開を行う。
その後、青っきゃん、そして昨年私がその社長に就任することになった。

振り返れば クリエイト時代には喜多の茂ちゃん、奥山のしろーさん、奥山の徳さん、アクトの時代には高田のけいちゃん、畑のかずやさん、彼らみんな篠山町商工青年会議(現 商工会青年部)のメンバーでデカンショ祭の裏方で汗をかいてきた篠山大好き人間ばかり。
言い換えればデカンショ祭を創り上げてきた人ばかりである。
故に「仲良しグループでやっとる!」という批判も聞こえたが、そんな批判を遥かに超える多くの仲間の夢と郷土愛がぎっしりと詰まった「大正ロマン館」という他に類を見ないシステムソフトウェアが「元町役場」というハードウェアにインストールされ、その「元町役場」は丹波篠山の顔に生まれ変わった。

10年後50年後そのずっと先もハードウェアの修繕を行いながら時代にあったバグ修正やアップデートを繰り返し、どの時代おいても丹波篠山に来られた方のみならず丹波篠山市民にも愛される「大正ロマン館」でありつづけることを願う。

堀のやっちゃんのちょっとカスレた声が聞こえる。

「こら!亮介! やいやい言うとらんと、てったわんかい!!」

※堀のやっちゃん(故堀泰尚氏) 喜多の茂ちゃん(故喜多茂夫氏) 奥山のしろーさん(故奥山史郎氏) 小林のせーてんさん(小林正典氏) 高田のけいちゃん(高田啓司氏) 畑のかずやさん(畑一弥氏) 青っきゃん(青木直氏)

あとがき
ふと目の前にあるパソコンを見て感じたのが、大正ロマン館はOSなんだと。何度もアップデートしてきたWindowsのように。

元「町役場」という無機質なハードウェアにインストールされたこのOSは、丹波篠山を築いて来られた多くの先輩方の「夢」と「郷土愛」が書き込まれたプログラムソースで出来ているに違いないと思います。
文中ニックネームで呼んで失礼とは思いましたが、これもやっちゃんに言われた「今日からやっちゃんと呼べ!!」という篠山町商工青年会議時代の決め事を今も守っています。

行政は合併を繰り返して丹波篠山市になりましたが、反面伝えてこられなかった事も多くあると思います。

歴史を知らないと未来への道順を誤ることもあります。

大正ロマン館は一度も建造されたことはなくそこにあったのは元「町役場」の建物です。

言い換えればこの建物を「大正ロマン館」として維持できるのは、先に書いたプログラムソースでしかないことを少しでも分かっていただければ幸いです。

大正ロマン館誕生物語④に戻る