大正ロマン館誕生物語 ③

お土産販売編

「え〜?陳列台無しって」

案内所のカウンター、レストランのテーブルにフロアの丸いテーブル等多くの備品が整いつつある中、西尾会長からの一言。

「すまんけどのぉ、お土産販売する台やらケースまで予算が回らんのや。なんとかならんけ」

お土産販売の部門を特に任されていた私と吉田のひとっさんは、これを聞いて唖然となる。

高校の文化祭のバザーじゃあるまいし長机で販売するわけも行かず、それなりのちゃんとした物を使わないとこの建物や他の備品と釣り合うはずもない。

「もし無理なら今年はお土産販売はやめよか? 来年からでもええで」と珍しく弱気な西尾会長の言葉に

「何言うとってんですか。みんなでなんとかします」と強気で返したものの正直困ったのは確かだった。

これを聞くこと一ヶ月前には市内の業者を回って新しくできるロマン館のお土産販売コーナーで販売してもらえるよう契約をほぼ済ませていた。

これがなかなか大変だった。卸販売するということがなかったお店への説明や卸値価格の交渉は言うに及ばず、問題はそもそも認知度全くゼロの大正ロマン館で物が売れるのかどうかという業者が感じられている不安だった。

説明の際には

「物を売るだけじゃなくて篠山の観光のために必要なんです。助けてほしいんです」「将来は間違いなく観光の拠点になります」とその不安を消すための話をしたり「おしゃれな販売台で陳列して売るさかいに、もぉちょい安うしてぇな」と値段交渉して来た身にとってちゃんとした販売台がないってことはとんでもないことに違いなかった。

今だから言えるが正直言って観光の拠点になるかどうかなんて自信はなかった。というのも当時はまだまだ「観光アレルギー」が商店街には残っており「観光なんかで食っていけるわけない」という声も多かった。「お前ら若造に何ができるんや! 観光なんかくそくらえじゃ!」と篠山人御用達の焼き鳥屋「むさし」で絡まれたことも幾度かあった。逆にそう言われれば言われるほどやる気が出たことは言うまでもない。

ひとっさんと悩みながらも「とりあえず知り合いの業者にあたって使わなくなった備品がないか聞いてまわろうや」ということになる。

灯台下暗しとはよく言ったもので実は私の店の倉庫に陳列ケースが2台眠っていた。この年の前年に店舗改装をし「まだ使えるかもしれない」と廃棄せずに倉庫に保管していたものだった。

残り4台の販売台も探せば見つかるもので、西尾会長やひとっさんの顔の広さに感謝感謝。

しかし寄せ集めは所詮寄せ集め。特に色の違いは雰囲気を壊すものなのだが、ここで諦めないのもひとっさんだった。

「塗ったらええやれぃ」の一言。それがオープン一ヶ月前だった。

人柄なのか仕事柄なのか、この吉田のひとっさんの持つ人的ネットワークには驚くばかりだった。井の中の蛙状態の私にとって計り知れない刺激であり経験であったことは言うまでもない。彼がいなければ間違いなく商品はほとんど店頭に並ぶことはなかっただろう。

                                続く

大正ロマン館誕生物語②に戻る