大正ロマン館誕生物語 ④

観光案内所編

「どうせならええもん飾らんかい。ワシが寄付したる!」

この気風の良い言葉はめったに話すことがなかったにも関わらず私のことをよくご存知だった大先輩 福島のおやっさんの言葉。古く狭い観光案内所時代からよく来られてたのは存じていたがこの言葉を聞けるとは思わなかった。

観光案内所に関しては専用のカウンターも整ったもののちょっとした調度品は在り来りの物しかなかった。
また今と違い携帯やスマホが一般的じゃなかった頃、時を知るには腕時計か施設にある掛け時計や置き時計が必要であり、古い観光案内所にも時間こそ分かるが多くの方が訪れる玄関に相応しいかというと決してそうではない掛け時計があった。

ある日古い観光案内所で福島のおやっさんに呼び止められ

「圓増くんよ。このきったない時計、向こうに持って行くきかいな?」と。

「はい。担当ちゃうんですが、これをそのまま使うんやと聞いてます。新しくする予算もないらしく。」

すると次の言葉は

「お前! あほか! これから篠山の玄関になるとこに なんちゅうもん飾るねん!カネがないんやったら ワシが寄付したる!」

ほんまビビるというか背筋がシャキッと伸びたのを思い出す。

担当だった徳さんのまるで子どもに帰ったような喜びようは今でも脳裏に焼き付いている。

寄付していただいた立派な時計は今もロマン館入ったところに飾ってある。ただ残念なことに機械の不具合で時を刻むのは現在休止している。

観光案内所ができてもそれ以上におもてなしと知識が大切で、知識に関しては徳さん、薫ちゃんの力が大きい。「そこまでいるんかいな」と思うくらいの知識量を案内所に注入することになる。

ここでおもてなしを含め大きな貢献をしていただいたのが西尾のれーこさんである。名字が会長と同じでこれも何かの縁を感じたものだった。れーこのさんの頑張りは観光案内だけではなくお土産販売にも大きな力となる。またれーこさんの人のつながりがロマン館の発展を支えることになる。

そして観光案内と言えばボランティアの観光案内グループ「ディスカバーささやま」のリーダーで創設者 山内のけーさんである。

※篠山の特徴として人を呼ぶ際「名字」+「の」+「○○さん」と呼ぶ。源頼朝や平清盛を呼ぶ際に「の」をつけるのと似ている。

けーさんに至ってはいつも出会うたび元気な声で

「よっ!亮ちゃん! 頑張っとるのぉ。親父さん元気こぉ?」だった。

このフレーズワンセットで「こんにちわ」であり「おはよう」を意味していた。けーさんは誰に対しても是々非々で物を言われる大先輩の一人でドヤされる時もあったが

「遠慮せんと、若い考えで思いっきりやったらええんやじょ!」

「間違いないしにこれからは観光の時代になるさかいに!!」の声にはいつも勇気づけられた。ディスカバーささやまさんとの連携も新しい観光案内所を起点としてより強固なものとなっていった。

                                  続く

※福島のおやっさん(故福島博氏)  山内のけーさん(故山内啓司氏) 西尾のれーこさん(西尾玲子さん)

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